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戦国時代のセックス事情5選!現代とは違う戦国時代のセックス事情まで徹底解説!

最終更新日 2023.11.17

甲冑

戦国時代というのは現代とは異なる価値観で人々が生活している時代です。

そのため、セックス事情も現代の常識とは大きく異なっていて、調べてみると驚きの連続でしょう。そんな戦国時代のセックス事情を詳しく知りたい人は多いのではないでしょうか。

そこで、戦国時代のセックスに関する常識について紹介します。現代とは異なる興味深い点について取り上げました。面白い事実をたくさん知ることができるでしょう。

戦国時代のセックス事情5選

布団

戦国時代は現代とは異なるセックス事情がありました。どういった特徴があるのか紹介しましょう。

特徴1.戦国大名とにかく沢山の子供を生むためにセックス三昧!

布団にいる男女

戦国時代に限らず、現代以前の社会というのはたくさん子供を生むことが重視されていました。その理由は現代とは異なり乳幼児の死亡率が非常に高かったからです。そのため、とにかくたくさん生むことで、元気な子供を残そうとしました。

また、戦国大名にとっては、自分の子供は後を継がせる対象となるため、とても重要です。男児が生まれなければ、後継ぎがいなくなり、大変なことになってしまいます。子孫が残せなければ養子を取るという方法もあるのですが、それでは家督争いが起きやすくトラブルの可能性が高まるでしょう。

このように戦国大名は実子の男児を強く求めていました。そのために側室を迎えて、たくさんの性行為を行い、次々と女性を妊娠させていたのです。たとえば、徳川家康には正室と側室を合わせて20人以上の妻がいたことがわかっています。

豊臣秀吉は13人、織田信長も10人程度の妻がいました。ただし、当時の戦国大名のすべてに側室がいたわけではありません。たとえば、明智光秀や直江兼続といった武将には正室しかいませんでした。

また、上杉謙信のように生涯独身を貫き通した武将もいます。しかし、こういったケースは非常に稀であり、上杉謙信などはとても変わり者とされていました。

子供を生むことが非常に高い価値とされていたため、当時の戦国大名はセックス三昧の毎日だったのです。なかには、性行為を純粋に楽しんでいた武将もいたでしょうが、子供を生むためと割り切って仕方なくしていた男もいたでしょう。

 

特徴2.平民達もセックスには開放的!

日本民家

大名や武将という身分の人たちだけではなく、当時の平民も盛んにセックスを行っていました。基本的に明治以前の日本人の性はとても開放的とされているのです。当時、日本を訪れた宣教師などは、日本の平民までもが奔放な性生活を送っていることに驚いていたという記録があります。

明治以降は西洋諸国のキリスト教の文化が流入し、禁欲的な価値観がもたらされたため、性を隠すようになりました。当時、西洋諸国と国交を結ぶにあたって、恥をかかないように開放的なセックスの価値観が押さえつけられたのです。裏を返せば、明治以前は相当性に開放的だったことがわかります。

当時のセックス事情はとても乱れきっており、不倫は当たり前であり、会ったその日に見ず知らずの異性とセックスすることも普通でした。祭りなどは男女がセックスをする絶好の機会とされていたのです。茂みの中を覗けば、当時はたくさんの男女がセックスしている様子を見られたでしょう。

当時は娯楽がなにもなく、庶民の楽しみは現代人と比較すればかなり選択肢が少なかったといえます。そんな庶民が気軽に楽しめるものの1つがセックスだったといえるでしょう。ほかにやることがなく、本能の赴くままに当時の庶民はセックス三昧だったといっても過言ではありません。

 

特徴3.武将のための性のガイドブックが出ていた

本を読む男

現代人はセックスについて知りたいならば、インターネットでさまざまな情報を集めることができます。動画によって、実際に男女がセックスをしている様子も簡単に見られる時代です。しかし、戦国時代には当然動画というものはなく、何かを学ぶためには書物を紐解くのが普通でした。

セックスというのは、子孫を残すためにとても重要なため、武将のための性のハンドブックといえる書物が当時は存在していました。たとえば、曲直瀬道三という医師の書いた「黄素妙論」という本では、セックスの方法からセックスによって養生する方法まで詳しく解説されています。

当時、すでにさまざまな体位が存在していたことが書物からわかります。セックスのタイミングについても言及されています。妊娠したり、健康を維持したりするために最適なセックスの間隔なども説明されているのです。

当時の武将はこういった書物の情報を活用してセックスに励んでいました。また、今でいるエロ本とされている春画も流行していました。春画を見ながらセックスの仕方を学んでいた人も多かったのです。

 

特徴4.当時の男子は元服を目安として筆おろししていた

侍

当時は今よりもセックスは重要なものであり、子供を産むために早くセックスをする必要がありました。そのため、大名家などでは、男性が元服する15歳くらいを目安として筆おろしさせていたそうです。今のように20歳を超えても童貞のままでいることはありえない時代でした。

筆おろしの相手としては、遊女相手が多かったとされています。ちなみに当時の女性は初潮を迎えたあとで初体験をするケースが多いとされています。ただし、女性に関する記録はあまり残されていません。

また、かつては女性の社会的な地位は相当低かったため、無理やり誰かに襲われて処女を失ったというケースはかなり多かったと考えられるでしょう。

 

特徴5.媚薬や大人のおもちゃは当時からあった!

こけし

現代ではセックスのときにバイブを使ったり、バイアグラを飲んだりするのは多くの人がやっていることです。実は戦国時代の時点で、媚薬や大人のおもちゃのたぐいは存在していました。性に関する人間の探究心は昔も今も変わらないといえるでしょう。

たとえば、長命丸という薬は、これを男性器に塗ることによって、より堅さを持続できるようになります。ただし、使いすぎると寿命を縮めるといわれていたようです。

女悦丸という女性のための媚薬も存在していました。こちらをセックスのまえに膣の中に入れて使い、それによって強い快感を得られるというものです。

現代で言う大人のおもちゃとされていたのは張形です。さまざまなタイプのものがありました。直接膣の中に入れて出し入れするタイプから指につけて女性器をこすって刺激を与えるタイプなどです。

高級な大人のおもちゃになると1両もするような高価なものもありました。当時は高貴な女性であっても、性に開放的であり、大人のおもちゃに熱中していたのです。

 

現代とは違う戦国時代のセックス事情とは?

城

戦国時代には現代では考えられないようなセックス事情が存在していました。現代と違う点について解説しましょう。

現代と違う点1.至るところで男同士がセックスをしていた!?

男色

当時が今と大きく異なるのは男色が盛んに行われていたことです。至るところで男が男を相手にセックスをしていました。男色は武士の嗜みであり、むしろ男色を好むことが推奨されていたぐらいです。

女性というのは不浄な存在であり、女性とセックスをするのは縁起が悪いとされていました。また、戦場では女性がいないため、性欲を処理するためには男性を相手にするしかないという事情もあったのです。そのため、有名な戦国武将のほとんどは男色していたと考えて間違いありません。

たとえば、豊臣秀吉は女にしか興味がなく男色にまったく関心を持っていませんでした。豊臣秀吉のようなケースは非常に稀です。豊臣秀吉の性的嗜好が現代にまで知られているのは、逆にいえば当時は男色がとても当たり前のことだったことの裏返しといえるでしょう。

たとえば、当時は大名を世話する役目である小姓という青年の侍がいました。小姓は大名の性欲処理の相手とされていたのです。たとえば、織田信長と森蘭丸の関係は今でも有名でしょう。

 

現代と違う点2.戦の前はセックスが禁止されていた!

城下町

当時は頻繁に戦があった時代ですが、これから戦に出る前には武士はセックスをすることを禁止されていました。合戦のある数日前からは女性と交わることはいけないとされていたのです。

これはセックスをすることで体力を消耗することを恐れていたからと思うかもしれません。しかし、実際には女性と交わることで体が穢れるのを恐れていたのが大きな理由でした。当時は女性の体は穢れているとされていたのです。

たとえば、今でも女人禁制の山が存在しているほど女性は穢れた存在という迷信がとても信じられていました。そのような女性と交わってしまうと、これから戦に出るにあたってとても縁起が悪いと思われていたのです。

当時は今のように科学が未発達の時代でした。今の時代の目から見ると非常に非合理なことが当たり前のように信じられていたのです。

 

現代と違う点3.戦が始まった後はセックスに開放的!

祭り

戦の前には確かにセックスは禁止されていたのですが、実際に出陣した後に関しては比較的自由でした。合戦中にはセックスをしたとしても許されていたのです。たとえば、合戦場には売春婦が用意されていました。

御陣女郎という売春婦が武士の遊び相手となっていたのです。性欲を我慢させるよりも発散させたほうがストレスもたまらないし合戦に良い影響を与えると考えられていたのでしょう。ただし、絶対に女郎が合戦についていったとは限りません。

女郎が近くにいないときには春画を取り出して自慰行為にふけっていた武将もいたようです。ちなみに合戦中のセックスは基本的にすぐに済ませるものとされていました。いつ敵に襲われてしまうかわからないからです。

 

現代と違う点4.性感染が大流行!もはや止めるすべなし!

血液検査

性感染症は戦国時代には大流行していました。これは日本だけではなく世界中でも同様です。戦国時代では日本で梅毒が蔓延していて、恐ろしい病気とされています。

たとえば、豊臣秀吉のような有名な武将も梅毒によって死亡したといわれています。梅毒を治療するには感染菌を死滅させる必要があり、それに使われるペニシリンが発明されたのは1929年のことです。それまでは、明治や大正時代であっても、性感染症の流行は続いていました。

ただし、現代の日本でも性感染症が増えているというデータもあるため、現代だから安心と考えるのはやめましょう。

戦国時代にもセックスで対価を受け取る風俗嬢がいた!?

女性

風俗嬢の歴史は古いものであり、戦国時代にもいたとされています。当時からセックスを対価としてお金を稼いでいる女性は多かったのです。白拍子や旅芸人として諸国を旅して売春婦として生計を立ててていました。

武士だけではなく庶民が利用できる売春婦もいたようです。たとえば、今でいる立ちんぼと似ている「たち君」と呼ばれる売春婦が確認されています。尼であっても体を売っていたケースがあったようです。

当時は女性の地位がとても低かったです。庶民は男性であってもお金に苦労していた時代です。そこで、需要のある女性の体を売ることでお金を稼いでいた売春婦が当時もいたことはある意味当然といえるでしょう。

売春婦という職業は一説によると世界で最古の職業とされることもあります。日本では戦国時代以前でも、万葉集に遊行女婦という言葉が出てきていて、遊女は一般的な存在だったといえます。

 

まとめ

鎧

戦国時代のセックス事情について詳しく解説してきました。

今のセックス事情につながるものもあれば、今ではありえない文化も存在していて、とても興味深かったのではないでしょうか。人間にとってセックスは根源的なものであると理解できたでしょう。

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